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百年蔵の再生日記  
高木正三郎氏(一級建築士・建築工房 代表) 

設計+制作/建築工房

博多百年蔵の再生〜2011年12月23日(金)

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各工事の終わりがそこに見え始めてきた。と共に、清掃箇所の膨大さも見え始めてきた。百年蔵のスタッフが再び什器備品等の清掃を始める。その順番とか置き場所とか、残工事との関係とかの交通整理、いわゆる段取りに頭を悩ませるが、この広さ故か、今日の段階では、正確な時間割というものを打ち出せない。年内はもう、一週間しか残っていないのだから、とにもかくにも、眼前のものを片付けていくしかない、というのもある。掃除は、全ての人間が参加できる工種ということで、元より我が身も例外ではないことを自覚する。

博多百年蔵の再生〜2011年12月24日(土)

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売り場の二階はこれまでも、これからも、用途という用途はなく、従ってバックヤード、物置、各設備機器、配管、配線が悠々自適に張り巡らせる空間である。下層階や左右の空間のための排気ダクトが設置完了し、杉材の空間でしかなかったところに、銀色のなにがしかが絡み合う場となった。
どこかで見たことのあるよう風景。この銀色の排気ダクトは、おそらく無煙ロースターを唱う焼き肉屋さんのそれで、足下に枡形に張り巡らされている杉材と床の設えは、歌舞伎などが上演されるかつての芝居小屋における「枡席」(ますせき)のようではないか。であれば、ここは、歌舞伎を見ながら炭火焼き肉をつつける、前代未聞、究極のエンターテイメントな空間?ということになる。
もちろん、そんなはずはない、いや100年後には、などと想像をすることの自由をしばし満喫。

博多百年蔵の再生〜2011年12月25日(日)

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おそらく、電気設備工事はこの再生工事で最もボリュームのあると思われる。おそらく創建当時から積み上げられた配線の整備が、この2ヶ月半の期間中、文字通り休み無く続けられてきた。全ての配線の整備、取り替えを年内に行うのは、着手の段階から不可能であることは解っていたので、予定通り来年のオープン後にもこの工事は持ち越される。
今日は日曜日、年内工事は既に片手で数えられる日数を残すのみとなったが、さすがに他の全ての職種は休む。そして、明後日27日に本線通電開始に伴い、k社の電気工事が、現場に入っていた。それと、もう一種、酒造プラントが新酒の仕込みで可動中、音のしない静かな現場に蒸米の香りが立ちこめていた。
そういえば今日はまたクリスマス、サンタクロースのおじさんのところに寄って、フライドチキンを入手し、別件で切羽詰まり可動中の我事務所に届ける。

博多百年蔵の再生〜2011年12月27日(火)

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今日は、おそらくこの再生工事現場の最後の火曜日、つまり定例会議であった。工事の完了した業者が一抜け二抜けの状態であったため、極寒の朝、風通しのよい大テーブル席での会議となった。現場は、内装工事、大工工事、左官工事、電気工事、空調工事、給排水工事、塗装工事、とほとんど全ての工種が各所に散在しながら残工事をまとめにかかる中、今日は、美装工事(竣工クリーニング)が現場を席巻した。年末は、なにも建築工事現場にかぎらず、事業所や一般家庭に至り、世の中全てが、この美装工事業を取り合う。本日、強引に雇い入れた美装屋さんは、それでも一族郎党すべてを引き連れて、5〜6名の編隊で取り組んでくれた。罹災以降、正直美しいとはいえなかった状態の内装に、美しさが戻り始めると、その勢いに、ようやく安堵の雰囲気が漂い始める。と共に、電気設備の通電が行われ、仮設ではなく、本設の照明が室内を照らしはじめる。これもまたもう一つの安堵ではあったけれども、同時に、暗くて見えなかった修正箇所が今頃になって発見される。我ながら、もうちょっと目がよくないといけない、と思った。(ここでいう目がいいとは、視力ではなく、凝視しようとする意志)

博多百年蔵の再生〜2011年12月28日(水)

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現場が、そろそろ引き潮の兆しを見せ始める。といっても、てんやわんやの部分が多く、引いているのはあくまでも一部、兆し。光井戸を造作した大工が、今日、階段部分の吹き抜けの仕切造作を終えて、見事に年内の工事の幕を納める。所定の時間内に、所定の精度で、そして、結果は、なかなかいいではないかという、三揃えではなかったかとおもう。この三揃えは、例えば、オリンピックのシンクロナイズドスウィミングなどに置き換えると解りやすいのかもしれない。所定の時間内というのは、厳格に設定された競技時間のことであり、所定の精度というのは、技術点であり、結果の魅力というのは、芸術点ではないだろうか。その三つ全てがどれも一定以上必要なのである。ここをやってもらった職人さんとは、もちろん初めての手合わせであったが、こういう出会いは、なぜか無性に心地がよい。こういう職人さんと出会うと、私自身の構想も膨らむような気がしてくるのである。明日は、建築業界の通例としては、レッドゾーン。本来は年の暮れの休みとなる日付に突入する。

博多百年蔵の再生〜2011年12月30日(金)

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今日は、建築工事業の慣例に従い正月休みへ突入、現場はモヌケの空。今日に残っている事柄はそのまま来年に持ち越される。只一業種、造園工事のみが動いた。彼らは、庭木の植え替えの仕事を行ったが、もう一つ、光井戸の画竜点睛の役目があった。目を描き入れた紙面上の龍が昇天するがごとく、光井戸の御柱が何にももたれかかることなく、自立した瞬間に、柱は場所の御柱、心棒となる。
御柱は言うまでもなく地面に自重をゆだねているが、やはり倒れないように、上方のどこかで建物と接点をつくる必要がある。木材で接点をつくるのがてっとりばやかったが、建築と繋がってしまってはまずかろうと思った。ここは縄の類で「結ぶ」べきではないかという直感の出所は、例えば伊勢の式年遷宮や、諏訪の御柱祭の際の、柱と人を繋ぐ縄であったかもしれない。もしくは身近な所でいうなら、博多の山笠の「山」を形作る縄もそうである。なにかを大切に扱おうという時に、私たちは、縄という材料で融通無碍にくるんできたともいえる。だから、おそらく、「ハネ木」がこの蔵の御柱となるためには、あくまで建築とはソフトタッチであるべきだ、と考えたのだと思う。
ところが、その縄の結び方からなにから、建築設計者の私に知識も経験もなかった。もちろん大工も知らない。ここは造園屋の仕事だと気づき、偶々中庭を扱うことになった庭師に相談した。相談といっても、このワラ縄でこれとこれを繋いで欲しい、と目的を伝えただけであって、どのような造形でつなげるかというのは、完全に職人に投げた。正確には、こちらから指し示すことできなかった。彼のセンスはしかし、結果的には、想像以上に見事であった。金沢の兼六園の冬景色で必ずお目見えする「雪吊り」のディティール(細部)を上下に繰り返し、円錐と逆円錐という、立体的な接合を、彼は自らの頭の中から実際のものへと描き出した。彼は、ほめられてもあまりニコッともせずに、ひょうひょうとしたまま現場を去っていった。
彼の縄造形の出所は、造園屋にとっては技術的に特別なものではなかったのかもしれないが、ここにおいて、それをアレンジし、再構成することができたことは注視すべきだろう。既に出来上がっていた光井戸木軸造形に対する彼の洞察や想像力が源であっただろう。無名の職人のこのような底力そのものは、私個人の発見とか収穫というものではなく、社会にとっての資産の類であろう。こういう職人がいるうちは、(機械ではなく)人間のものづくりはまだまだ愉しみ続けることができると思った。