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百年蔵の再生日記  
高木正三郎氏(一級建築士・建築工房 代表) 

設計+制作/建築工房

博多百年蔵の再生〜2012年01月01日(日)

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NHK「ゆく年くる年」が伝える各地の新年を目の当たりにし、日本中で、祈りや願いを通して私たちの心が向き合う瞬間を感じる。今年の年越しは格別であったかもしれない。そして、百年蔵も、国難とその克服という節目と同期して、いうまでもなく、特別の節目を迎え入れた。地球の公転周期である一年という単位で、私たちは、気持ちを整え、一新する習慣を、幸いに持ち合わせていた。いろいろな思いが深いほどこの節目は一入(ひとしお)である。そして、いいことも悪いことも、そこから一度気持ちを自由にして、新しい気持ちで、新しい時代を迎えようと、まずは身辺を設える。そこに美しいと言える風景が生まれる。

博多百年蔵の再生〜2012年01月04日(水)

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年末の30日に忽然と姿をくらました各工事の現場担当者達が、今日戻ってきた。もちろん、建築業の通例として、まだ正月休みは終わっていない。だから、職人たちはほぼ誰も出てきてはいない。代わりに雑事業種の若いおにいさんたち、それから百年蔵のスタッフの人たち、おそらくお手伝いの人たち、の掃除で賑やかになる。試運転と称して、室内の1〜2個の空調機を暖房オンにする。僅かに暖かくなるだけでも有り難い。反面、外は時折「雪」。そのさなかに向かって、蔵の奧の方に眠りこけていたドリンクカウンターなどが運び出され、一斉にクリーニングを受ける。
炎の熱気を感じた初秋のあの時から、今日のこの極寒の風景に、一気にジャンプしたような錯覚。確実に時は移った。肌身は寒さを感じつつも、今は何か再スタートを控えての別種の熱気のようなものを感じた。

博多百年蔵の再生〜2012年01月05日(木)

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明後日をオープンに控えての、専門の清掃業者による初の床清掃。床掃除。おそらくここに始まり、ここに終わる。プロによるマシンを駆使した今日の清掃によって、見事に床は蘇った。もしかしたら、張り替えなければならないかと当初は懸念されたが、全くもって、見事に復帰した。しかし実際は、着工直後から、途中、幾度となく床の清掃を行ってきた。それは、悪天候の後の、名も無き業種の若者達による時折の辛抱強い清掃がくり返されてきたことによって、今日の仕上げに繋がり、床は張り替えずに済んだ。そして、なによりも、安易に新調するのではない深みが材料に積み重なり、最良のシナリオを描くことができたように思う。影の苦労者達をこそ、忘れないようにしたい。
実は、この床清掃が最後のヤマバであったのかもしれない。というか、建築工事経験者であれば、想像に難くないと思われるが、竣工クリーニングというものは、往々にしてキレイに他工種を遠ざけて行えるようなものではなく、最後のどたばた劇=仕上げ工事の全てを腰にベロベロと巻き付けながら、へんな話、無理矢理行うはめになる。美装(クリーニング)の途中にも、残工事がそこかしこで行われているのだが、その前には他工種へストレスがかかり、その直後には、他工種の解放が起こる。つまり美装完了後、音を立てて、家具の配置やら、タッチアップ(補修塗装)、諸検査、取り扱い説明会、その他小さな物事がたたみ込んでくる。その対応や判断の数々に思わず脳内を侵され、夕方の家庭内の約束を見事にすっぽかしてしまった。こんな時に些細な仕事を引き受けてしまった段取り能力の甘さを悔やむ反面、ここまでキレイさっぱりと約束をはね飛ばす心地良さみたいなものを味わう。一方で、自らの頭のキャパシティーを辛辣に疑うはめにもなる。

博多百年蔵の再生〜2012年01月07日(土)

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本日、朝9:30、鏡開きを行い、博多百年蔵は、無事に再オープンした。オープンと名の付く建築の引き渡しには、それなりに出くわしてきたはずだが、今回のそれについては、少々私自身の心持ちが異なった。「再」の意味が響いていたからだろうか、一度マイナスに陥る状況からの復活であったし、再生であったし、蘇生であったからだろうか、少々、感慨深い思いであった。建築行為というのは、基本は、人間の営為における「攻め」の行為だと思っていたが、かならずしもそればかりではない、マイナスの極致からゼロに向かっての回復を、まずは、目指さねばならない建築行為というものと、初めて向かい合うことになった。
それ故に、貴重な体験であった。突然に与えられた2.5ヶ月の工期と工事内容。普通であれば、二の足を踏んでしまいそうな着手に、逃げ道はなかった。(逃げ道を探した、わけではないが。)出来るか出来ないか、という、皮算用も実は問われていなかった。年始と共にお客さん達を迎える、という目標以外、他の選択肢は見あたらなかった。基本、工事である以上、Y組の施工業者としての段取り能力いかんによるものであったから、Y社長と互いの片足首をくくりつけてのスタートしかなかった。罹災の翌々日のことであったと思う。
設計者としての私ができることは、判断を間違わないことの他に、判断が遅れないこと、この二つのみ。これらの両立は、いうまでもなく理想であるから、同時に矛盾である。今日の段階では、なんとか間に合ったということだけで、よい判断ができたかどうかについては以後時間の経過に精査を仰ぎたい。今日は、只只、お客さんたちを百年蔵に招き入れる最低限の準備が出来たことを、喜びたい。「最低限の準備」という言い回しは、過小報告であるかもしれないが、それほどに、百年蔵は、大小の変化をし続けるのである。
また、私のレポートが、どのように人様にお役に立てたかということについても、私自身、自覚できるすべがない。題材は、私の視点で取り上げられたにすぎず、もっと多くの人々の仕事を照らしたかったということが僅かに悔やまれる。開き直れば、内容はともかく、挫折せずに一定のピッチで報告できたことを、まずは、よしとしていただきたい。専門用語がなんの躊躇もなく連発していたりして、とっつきにくいと悪評の文章を読んで頂いた方々には、この上ない感謝の次第である。こんなに暑苦しい文章は、これ以上読み続けられない、という声が本格化する前に、自らお役御免ということで、明日以降は、本来の設計者同様、文筆ではなく、絵筆を前提にした業務に戻ろうと思う。今日はこれから、年の暮れに意図的に忘れた忘年会を思いだし、新年会として振り返えようと思う。一日だけ、頭から離して、明日からまた、百年蔵のうまずたゆまずの変化に従事していければ幸いである。