博多百年蔵の再生〜2011年12月07日(水)
某新聞記者から質疑を受けている途中に、面白い部分を発見した。レンジフードのダクトが貫通する外壁の孔の断面が、僅かな時間、視界にさらけ出されていて、そこに新旧の時間差が見事に露呈していた。竹小舞という割竹(時に丸竹)をタテヨコに縄で組んで、土を両側から塗ったというその土壁の断面と、真壁(柱が表面に顕れる造り方)の柱は、旧来の壁。そこに、新たにタテ胴縁(ドウブチ)という杉の棒材を上から貼って、星霜により波打つ壁の機械精度を正した後、窯業系防火サイディングという現代の防火壁を全面に貼り、その上から杉板の下見板貼りという、最後は旧来の壁の復元。かつての防火壁の上に新たな現代の防火壁、そして、表は、懐かしい杉板の壁、という積み重なりである。
状況が許されるなら、元のものを取り去って新しいものを代替するより、新たなものを加えるだけの方が、工事は平易であるし、性能が付加されるという場合がある。あるいはまた、後世に修理する時には、この時代はこうであったということを絵解きで伝えることができる。今、当に地層を造っている。のかもしれない。
博多百年蔵の再生〜2011年12月08日(木)
新しい屋根に設けられた採光面から売り場の真ん中に貫く光井戸と名付けられたトップライト周辺の部分模型が完成。今回の再生、蘇生工事の中で、まったく新しく設けられるデザインという意味で、文字通り心棒的な計画でもある。酒蔵にとって大事なシンボルとして伝えられてきた樫の木の桔木(ハネギ)は、蔵の蘇生、そして末永く安泰を願うカタチを表しているのだとも言えるし、その威容は、訪れる人々に場所のよりどころのようなものを感じさせてくれるかもしれない。図らずもこの心棒の袂は、様々な人々が一時に留まる待合室になる。
当初は、この部分は来年再オープンの後に着工の予定であったが、ここまで工事が進み、その勢いを用いて新春に併せて出現させるべきということになり、急遽年内に着工することになる。デザインとしては本来、何個か模型を作ってからああでもないこうでもないと言いながら決めたいところだが、そんな温床でいるよりは集中力を養おうということで、パソコンの力も借りつつ、習作を急ぐ。本日現場にて、大工さんたちと下打ち合わせ。ジャングルジムのような細材構成をどのように彼らに伝えるべきかの思案。現場の常として、三次元の立体を二次元の図面に描き、それを職人が再び三次元の原寸として製作するところを、今回は二次元を媒介しない方法をやってみる。事務所内の検討時間だけでなく、大工が立体を把握し、原寸を起こす時間のロスやミスを極力最小にするために、提出物は1/10の模型一つ、これを図面の代わりとする。作り手にとって図面は基本、(線というより)数字に変換された情報=デジタル的だとすれば、模型はまさに実体そのもの=アナログな伝達手段である。非常時に、常識から離れることを促される。
博多百年蔵の再生〜2011年12月09日(金)
あらゆる設備の刷新が済んだことにより、厨房の内壁工事が始まる。エアコン設備、換気設備、電気設備、防災設備、床暖房冷媒管の全てが取り替えとなってしまった、最も既設設備のダメージが大きかったところである。特に今回の再生工事では、何度か話に持ちだしたとおり、以後スパークによる火災をくり返さないための対策が前提となっている。具体的には、ネズミなどの小動物が電気配線を噛むことによる、またその他の原因による漏電や短絡(ショート)の防止、そして、全ての分電盤への漏電遮断機の設置。対小動物への対策は、相手が動物ということもあり手強い。例えば、電線の絶縁体に鼠が嫌う辛味を練り込んだという防鼠(ボウソ)ケーブルの存在を知るが、鼠が「ここは辛い」と次々に新しい所を噛んでいき、あまり前向きな対策にはならないことが判明。電線に後から塗る防鼠塗料は、一年ほどで効果がなくなるというので、これも使えず。結局、電線を物理的に噛まれないように外殻を施すしかないということで、電線をラックや管に納めることになった。ラックは金属製、幹線ルートはこれで構築し、その先の枝配線は、自己消火性能のあるPF管にて、各スイッチやコンセントや器具へ導く。いずれも電線の発熱を内部に留めるという意味も果たすだろうから、電線の熱に向かってかじりつく鼠の習性の裏をかこうという目論みである。
鼠などの小動物による火災というのは、それだと確認される事例としては全国で年間70〜80件などという数字もあるようだ。思いの外多い。木材が絶乾状態(水分ゼロ)に近づいていくより古い木造にとっては、漏電その他の発火が火災に発展する可能性は高いと考えるしかない。いずれにしても安全対策とはどれか一つに偏るのではなく、できるかぎり多次元的に行うべきという、原理原則にたどり着きそうである。
博多百年蔵の再生〜2011年12月12日(月)
来年に予定していた光井戸の造作が、急遽始まる。微妙だが、年内完成を目指している。その側壁は、設計者の我がままにより、新材に取り替えられるために撤去された2F床の地松(日本の松)床材を用いる。表面や端は、汚れたり腐ったりしているが、その部分を取り除けば立派な材となる。木材は、かつての一般家庭で用いるまな板がそうであったように、削れば、真新しい木が中から顕れる。もちろん建築材料としての木材は、釘を一本一本抜き、たわしで葺き、プレーナー(電気カンナ)を通すなど、それら再利用するための手間が必要である。その手間はやはり今日では高価であり、本来的に新しい材料を購入した方が、費用はかからない。そうまでして、古材を用いるのはなぜかということになる。
日本の木造建築は、木造である以上例外なく、新材に取り替えていくことによってしか、存続できない。大袈裟に言えば、いずれ、創建時の材は無くなるということである。であるからこそ、その時残り得るものを大事にするという単純な姿勢が生まれる。百年蔵のように、桔木(ハネギ)を心棒として大切に語り伝える意味も同様、「これが今、そこに在る」ことによって、実際はブツ切れがちな時間の流れの中で、過去との繋がりを実感できるし、未来へ繋がる予測も生まれるのである。私たちは、確かに物語や絵や、写真、もしくは生身の人間を介して様々な歴史を知ることができる。しかしその中でもやはり、具体的な「モノ」を通して肌身で感じられる歴史の大きいことを知っているのである。
博多百年蔵の再生〜2011年12月13日(火)
これまで工事期間中、あの「御柱」は、四六時中、吹き抜けの脇に力なさげにもたれかかっては、ウツツを抜かす振りをしていた。ところが、大工二人により、既存開口部の正中に据えられた瞬間、あの、ただ長くて重いだけの「御柱」は、異様な凛々しさを持って、現場の中心に腰を据え、自らの威容を見せつけた。これから、年内に向けて、みだされていた場の秩序が回復し、凛とした空気が、舞い戻ってくることを、感じさせるような瞬間であった。
残り、3週間、たたみ込むように各工事がなだれ込み、現場を離れる時間に不安を感じ始める。一方、始まる工種あれば、終わる工種ありで、各所の大工工事が上がる(終わる)につれて、大工さんたちの手が空いてきたという。だから、彼らが逃げてしまう(現場を去る)前に、ここそこの図面が出来たならそれにとりかかります、の現場要請。間に合わない、というかけ声よりはよほど嬉しいが、職人と設計者の攻守が一転し、我々は机と現場に身を引き裂かれる。
博多百年蔵の再生〜2011年12月14日(水)
空調設備工事が、乗り込んできた。2Fの新設立体トラスの合間を縫って、これから、空調室内機や、換気扇、ダクト、などの、設備が縦横無尽に走る。この空間はあくまで屋根裏であり、一目に曝されることはないが、それでも、自然光も入り、いろんな角度を持った無数の木材が300平米に散りばめられていて、(デザイン界で最近頻発される言葉を用いるなら)ちょっとだけ「森」を感じさせる空間となったかもしれない。解ってはいたが、これらダクト類などのいかにも舞台裏らしい物体が以後巾を利かせれば「ちょっとだけ森」が、屋根裏、舞台裏に引き戻されていくことになっていくだろう。もちろん、元々1Fに設置されていた大きな空調機を4台分こちらに移したことによって、1Fは自由度が増し、なによりも景色が整理される。この屋根裏の「ちょっとだけ森」の風景は当面これら設備のメンテナンスをする人だけのための、サプライズ空間ということか。