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百年蔵の再生日記  
高木正三郎氏(一級建築士・建築工房 代表) 

設計+制作/建築工房

博多百年蔵の再生〜2011年10月17日(月)

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再生への段取りや打合せが詰まるにつれて、必要工事の範囲が増えていく。と同時に、当初は、仮繕いのつもりでスタートした再生工事も、仮繕いではなく、恒久性のある施設へ生まれ変わる方へと軌道修正が進む。惨事から一週間が経ち、機能回復のためのおおよその骨格がつかめてきたからか、意匠上の検討項目が見え始めてきた。
今日は、今回のアクシデントにより、既存の暗い空間へ注ぎ込むようになった自然光に目が留まる。従前は、屋根や壁に覆われていて、当然のことながら、そこから光がそそがれることは無かったが、幸か不幸か、そこから光が差し込んで、新たな風景が出現している。これをこのまま、もとの真っ暗にもどすべきかどうか。災いを転じて、新しい空間へ裏返す寝技はないものか、一考する必要を感じた。

多百年蔵の再生〜2011年10月19日(水)

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今日は、博多百年蔵I室長と、1月再スタートのための工事の意味を改めて確認する。修繕と改善の二項を立てるなら、両者は似て非なる、酷似対義語である。一ヶ月後から開始される二ヶ月間の工期ではなく、明日から二ヶ月半の工期という条件の中で、単に元通りに戻す「修繕」や「復元」ではなく、「改善」もしくは「改良」を目指している。リフォームというより、リノベーションとしてこの好機を捉えようという雰囲気が、この一週間で醸成されたことになる。つまり、元通りに戻すのではない。元通りに出来ない、というものはそのまま受け入れ、それ以外の随所に、刷新的な修復を施そうというものである。一つ一つは、また後日その場面が立ち現れる時に言及するが、刷新されるのは、構造であり、機能あり、意匠である。
イタリアでは、レスタウロ(Restauro)の語がこれらの刷新的な修復の意として、文化として、久しく社会に根ざしている。悪くなったところをある意味受容しながらも、修繕できるところは修繕し、全体の価値を将来へ伝えていくために、新しい要素が施される。日本語には、なかなかそのような豊かな含意の常用語が見あたらないが、おそらくそれは、私たちが歴史的に、日常的に、自然に、オリジナルを死守するのではないモノの伝え方を当たり前のように行ってきたことが関係しているかもしれない。私たちは、イタリア人に負けじ劣らじ風土性、ポジティブシンキングの持ち主という風にも言えそうだ。その遺伝子が、今、当に百年蔵に発芽しようとしているのだろうか。

百年蔵の再生〜2011年10月20日(木)

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主倉の二階屋根復旧の形状が決まる。屋根裏の木造部分=小屋組とその直近の柱には火がまわったが、二階床とそれより下は生きている。二階床面に火が回らなかった理由の一つにおそらく、屋根が燃えるにつれて瓦土が落下し、二階上に堆積した土によって床が一時的に防火構造となったことが考えられる。それまで屋根の上に伏せ込んであった瓦土(瓦と木造との間の粘土)は構造的には負担が重く、その他機能的にも実にやっかいな代物であったが、この期に及んでタイムリーな仕事をしたのかもしれない。二階床が残ったおかげで、一階の機能はほぼ全面復活させるシナリオを描くこともできた。一方、二階はそもそも物置程度で何も使われていなかったから、二階を室内空間として復旧する必要はないものの、側棟の屋根架構を補強するための骨組みを加える必要性がでてきた。これら補強を木造で行う。但し屋根の形状はそっくり元には戻さない。戻すべき理由があるとしたら、外観上の復元、という意味以外にはない。外観のみのために費やすコストや時間を、より優先順位の高い内部の機能や衣装に費やすべきではないかという意見が基になる。

博多百年蔵の再生〜2011年10月24日(月)

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百年蔵を含む景色がどのように変わるだろうかと、道路の反対側に経つ。この5年の内、始めてのアングルとしてここから写真を撮る。iphoneの内蔵カメラでは、全てが入りきらないほど長い建物群であることに気付く。今日は二本の大型クレーンが、解体作業を行っている風景。つり上げる解体物が重いからこんなに大きなクレーン(片方は50t)なのではなく、建物がヨコに大きすぎて、届かないからこのような大げさな風景になっている。いや、重要なのは、出来上がりの風景。やはり、このアングルまで引いた遠景では、取り払う屋根のボリュームが無くなることのデメリットが感じられやすくなる。明日の定例会議、で新規屋根の形状変更を協議しなければならない。

多百年蔵の再生〜2011年10月26日(水)

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二階の小屋組の撤去が昨日済んで、一気に2Fが片づく。すっぽりと青天井になり、新しい小屋組のための採寸が始まる。突然の工事着手により、木材はプレカット(機械による仕口加工)ではなく、却って大工職人の手による「手刻み」の方が、結果出来上がりが早いということがわかり、採寸後早速、刻みに入る。
二階の真壁(柱が見えている壁)を見渡すと、柱梁は、表面1センチほどをを燃やしながらも、教科書通りその内側はきちんと残っている。また、竹を縄で編んだ竹小舞の土壁+漆喰という二本の伝統的な防火壁が、文字通り防火壁として機能していたことを、痕跡に留めている。火を使う酒蔵の防火仕様によって、側棟の延焼を辛うじて免れることができた、と言えるかも知れない。
今週は秋晴れが続くということで、その間に、可能な限りの雨仕舞いができるといいのだが。
300平を超える(住宅4〜5件分)屋根葺きを11月末までに完成しようとしている。

博多百年蔵の再生〜2011年10月27日(木)

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わたしたち日本人は、特別な木に特別な意味を見いだして大切にし、それを持ち続けることにより、場所の秩序、あるいは、その小さな社会のよりどころのようなものを保ってきた。例えば神社でいうご神木などは、地面に生えている自然樹が神のヨリシロ=神域の最重要地点であった。私たちの古の民家には、おおむね大黒柱があり、そこには家を守る神が宿るとして、祀られた。百年蔵に伝わる長さ10mほどの桔木(ハネギ)には、おそらく、家の大黒柱と同じような意味が込められている。
桔木は、かつて、酒造りにおける「絞り」の工程にて、テコの原理を得るために用いられた剛長な木材である。今の製法では、油圧機械により圧縮力を得るため、自然木である桔木というよりも、テコの原理そのものが用いられることはない。とはいえ、その役割を果たした桔木は、その長さと重さの不便をいとわれることなく、酒蔵の象徴として、家宝として大事に保管されてきた。5年前の売り場改装時、土間に横渡っていた桔木を15人かかりで、あたかも諏訪の御柱祭のように、中央の吹き抜けに立て祀った。頭頂はほとんど屋根の高さ近くにまで届いていたから、今回の火災により、上方は表面が炭化してしまった。全体が長いから、ここを仮に切り取っても、桔木の長さは失われるほどではない。奇しくも、炎を免れた部分の比率は、そのまま百年蔵全体が焼失を免れた部分の割合を示しているかのようである。これからも、百年蔵のシンボルツリー?であることを約束されているかのようである。